頼りの兄弟姉妹もなく

「わしはこれまであらゆる世の中を見て来たつもりだが、まずそなた程の仕合者を、二人と見たことはござらぬ」「何で私が仕合者でございましょう」 と、呉羽之介は合点《がてん》せずに、「父親には夭《はや》く死に別れ、頼りの兄弟姉妹もなく、ただ母親ひとりの袂《たもと》にすがって日を送るものでございます」「いやさ、そなたはまだ此の世の中を、少しも知らぬ身じゃ程に、自分に天から恵まれた、こよない宝も宝と知らぬ――もしそなたが世界万人、誰れもさずかり得なかった大きな宝を授かっているたった一人の人間だと悟る時には、今に時めく大名より、はばかり多いが将軍家より、百倍すぐれた仕合せ持つ自分だと思いつくであろうが――それを若《も》し今日にも気づかれたら、今迄とは生れ変ったような生々した気持で、明日からの日を送ることが出来るに相違ない」 呉羽之介はなおも不審が晴れないのでした。「よその誰れもが授からぬとはどういう宝なのでございます」 片里は静かに若衆をながめて、「その宝はそなたの容貌《きりょう》じゃ、世の万人に立ち越えたその美くしさじゃ、かてて加えてそなたはそのように若いのだからの」 呉羽之介はつまらぬ事をと言ったように、いくらか恥かしげにほほえんで言うのでした。「私は美くしくもありませぬし――若いと申したところで、だれにも一度はある若かさ――そのようなことが、仕合せとは思われませぬ」「それゆえそなたは世の中を少しも知らぬと申すのだ」 と、片里はじッと呉羽之介を見て、「しかし呉羽之介どの、まず考えてごらんなされ。その美くしさとその若さとを大事になされ。そしてその美くしさも、やがて日ごとに衰えて、果敢《はか》ないものとなってしまい、遂《つい》には通りすがった人々からさえ、哀れな年寄じゃとあわれまれるようになるのを思い合せて、ても美くしい若衆だと、世間渇仰の的となっている、現今《いま》の若かさを移ろわぬ間《ま》に惜しみなされ、唐人も歌っているとおり――高歌一曲蔽明鏡《こうかいっきょくめいきょうをおおう》、昨日少年今白頭《さくじつのしょうねんきょうははくとう》――だ。わしなんぞも今はまだ、腰に梓《あずさ》も張らぬものの、やがてはあの庭先で、箒木《ほうき》を取っている下僕《しもべ》のように、ヨボヨボしてしまわねばならぬのじゃ」

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