片里どのの言葉ご用心なされ

「呉羽之介どの、片里どのの言葉ご用心なされ――学は古今に渡り、識百世を貫《つら》ぬく底の丈夫《ますらお》なれど何を拗《す》ねてか兎角《とかく》行《おこない》も乱れ勝ちな人ゆえ、この人の言うことなぞ信用はなりませぬぞ」「これはまた聖人どののお叱《しか》りか――」 片里は親しい友人の罵倒をかるく笑い消して、「呉羽之介どの、わしの言葉がいやしいとて、一がいにおさげすみになられぬがよい。とかく世の中では真実《まこと》のことは蔽《おお》いかくされ、虚偽《いつわり》がもてはやされる――しかしながらくれぐれも、わしがそなたに申して置きたいのは、そなたのその美くしさ、その若かさをば大切にして、決して無駄のないようにいたされたがよいと申すことじゃ。世のたとえにも言う通り、三日見ぬ間の桜かな――散ればまだしも、朽ちた花びらが梢《こずえ》に萎《しお》れて、浅間しく風雨に打たれて腐ッてゆくさまは、世にも気の毒なものでござる。春夏の壮《さか》んな園のながめにも、落葉、凩《こがらし》の秋冬が来る。――花のいろはうつりにけりないたづらに、わが身世にふる眺めせしまに――千古の美人にも、この歎きがあるのじゃ、呉羽之介どの、そなたのその美くしさも、神ならぬ身のとこしなえではない。瞬間に尽きて行く美くしさゆえ大事になされと申すのだ」 呉羽之介は片里の言葉に聴き入りながらに机辺《つくえべ》の花瓶《はながめ》の、緋いろに燃える芍薬《しゃくやく》の強い香りに酔ったような目付になりました。 この時露月は漸《よう》やく最後の一|刷毛《はけ》を入れてわれながら、満足したように画面を眺めましたが、やがて疲れ切ったように絵筆をぽんとほうり出して、うめくように呟《つぶ》やきました。「わしには一生に又と、これよりすぐれたものが描けようとは思われぬ」「オオ、出来上ったか!」

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