呉羽之介、美の永遠を祈請して悪魔を呼ぶ事

 と、片里は、呉羽之介をみつめていた目を画面へと移し、限りない讃美の声をあげるのでした。「なるほど、先程にくらべると、ほんの少し筆を入れただけで、また一しお見ちがえるまでになったなんという美くしさ、若々しさあでやかさ――まるでほんものの呉羽之介どのそっくりじゃ」「わしには一生に又と、これよりすぐれたものが描けようとは思われぬ」 露月はふたたびうめくように呟やきました。 そして、はじめて呉羽之介も、恍惚《こうこつ》の夢から醒《さ》めたように、自分の絵すがたへじっと見入るのでありました。

[#3字下げ][#中見出し]呉羽之介、美の永遠を祈請して悪魔を呼ぶ事[#中見出し終わり]

 露月の霊腕になった美麗|華奢《きゃしゃ》をきわめた画面に驚嘆した片里は、席をはなれて一そう絵枠に近づきまるで酔ったような目でいつまでも眺め入りました。そしてその後ろには、呉羽之介、その人が、茫然として自分の絵すがたに魂を奪《と》られたかのように見入っております。 ――実は呉羽之介は、世にもまれなるおのが容《すがた》の美くしさを、これまでハッキリと自覚したことはなかったのでした。物堅い儒家に生れた彼は、容儀は堂々たるべく正々《せいせい》たるべしとの家訓は受けておりましても、容貌《かおかたち》が美しいとかあでやかであるとか、すべてそうしたことは人の口からも聴かなければ、我が身で悟ったこともなかったのであります。第一、士たるものにとって容貌の美醜なぞが何であろう――それは女々《めめ》しい婦女子にのみ関することだという考えが、いつとはなしに心の底に根を張ってしまっていたのです。ところが先程から片里の言葉を聴いているうちに、ふと、今迄に覚えなんだ怪しい思いが胸に燃えはじめて、さてはこの自分のからだには、そうした万人にすぐれた美が宿っているのかと、われながら驚かれると同時に、しかし又あまり大仰な片里の讃詞《さんじ》が、半信半疑にも聴きなされもしたのでした。 けれどもいま、呉羽之介はまざまざと、自分のすがたを目の前に見たのです! ――オオ、これがほんとうの自分であろうか! 呉羽之介は絖《ぬめ》の上に生々と描かれた、いつぞや等覚院へ詣る途中、池の端《はた》ではじめて露月に逢った時そのままの自分の若衆すがたをみつめつつ、まるで喪心したようになってしまいました。かたわらの片里も、今も今とて、これが自分にそっくりそのままだと証言した――露月もそもそもこの絵にかかる当初、どうにかして現在のすがたを寸分たがわず絹にうつして、いつまでも残したいと言いもした――して見れば、ほんとうにこれが自分の正直な絵すがたなのであろう! ――何といううるわしさだろう!

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