推移の悲哀

「そなたは推移の悲哀があろうと、生々と暫《しば》しの間の若さと美くしさとを十分にたのしむことが出来るのじゃもの、何で死物が羨ましかろう。そなたの美くしさと若さとで、出来るかぎり此の世のよろこびを吸い貪《むさ》ぼるなら、短かいいのちも歎かでよい。世の常の人々は、みにくい姿に生れたために若さが却《かえ》って悩みとなり、生の歓びを知らぬ間《ま》に、年を重ね、灰いろの憂いに生きて憂いに死ぬのだ。それに比べてそなたこそ、どんなに幸福かわかりはせぬ」 けれども、呉羽之介の耳には、そうした言葉ははいらぬように見えました。「ああ、私はこの絵すがたが羨やましい、此れはいつまでも美くしいのじゃ。もう何年かかった後、老に萎《しお》れた私のすがたを、この絵すがたが眺めたなら、どんなに嘲《あざ》けり嗤《わら》うことだろう。おお、どうぞしてこの絵すがたと此の身とが、所を換えて年を取り、此の身がとわに常若《とこわか》に、此の絵すがたがこの身のかわりに、老いさらぼうて呉《く》れたなら――おお、そうだ、若《も》しこの事が出来るなら、此の身のかわりに此の絵すがたが老いてゆき、此の身がとわに若々しく、世に美くしくながらえることが出来るなら、未来は地獄の血の池に逆しまに落ちようとまま! あわれ日本、天竺《てんじく》、唐《から》、あらゆる神仏――たとえ邪教の神にまれ、または悪魔悪鬼にまれ、若しこの事を叶《かな》えてくれたら、永劫未来後の世はお主《ぬし》の僕《しもべ》となって暮そう、火の山、針の林へもよろこんではいるであろう――」「これこれ、呉羽之介どの、そなたは何を申すのじゃ」 と、露月はかたわらからあわただしく押しとどめて、「そのようなことを口にして、もし神仏のいかりにふれたら何といたすぞ?」「いやいや、露月、お止めなさるな」 と、片里は自分の言った言葉が、案外な力で少年を動かしたのにいよいよ激しい興味を覚えたようでした。

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